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『ことし読む本いち押しガイド2003no.2.

 

今年売れた人文書8冊+コラム

2002.12.

 

橋本努

 

 

【コラム】「欲望収縮過程と情報化社会」

 

二つのノーベル賞受賞に沸いた今年の日本。あらためて技術立国日本の水準を認識させてくれたその受賞の背景には、理科系教育の成功と成熟があるのだろう。書店では現在、理科系の入門書や教養書が売れている。軽めのエッセイ集から数式ばかりのテキストまで、さらには「プログラムはなぜ動くのか」といった初心者向けの教科書のようなものまで売れている。こうした最近の読書傾向は、はたして理科系読者層の文化的成熟だとか、情報社会への産業構造転換の推進という点から説明できるだろうか。人文書の低俗化や実用化傾向がすすむ中で、売れる理科系書籍は依然として理想が高くロマンに満ちている。硬派なテキストが売れるのも、そのパラメータの一つであろう。

理系を別とすれば、今回取り上げた人文書のなかで光るのは東浩紀の『動物化するポストモダン』。おたく文化を読み解いた本書は、コンピュータとインターネットが普及した社会のグロテスクな戯画である。かつて大澤真幸は、1945年から1970年までを「理想の時代」、1970年からオウム事件が起こる1995年までを「虚構の時代」と呼んだが、東によれば、1995年以降の現代社会は、コジェーヴのいう意味での動物化がすすむ社会であるという。若者たちはもはや、他者の欲望を欲望するような顕示的消費社会の機制に踊らず、できるだけ他者の介在なしに欠乏を満たすような、単純で閉塞的な世界へと住みつく傾向にある。それはコンピュータに時間を費やす現代人が、「お気に入りのホームページ」を追加しながらネット上に自らの居場所を構成していくその姿に似ているようで辛辣だ。不況によって欲望が収縮する過程に、高度情報化社会が訪れている。人文系の文化における欲望の抑制化傾向は、理科系文化の逞しいロマンと開発精神によって支えられているようだ。

 

 

 

井上章一『パンツが見える。 羞恥心の現代史』

朝日新聞社/2002

 

ズロースをはいていた日本女性は、1950年代後半に普及したパンティを通じて、また1960年代に流行ったミニスカートを通じて、「娼婦幻想」と「羞恥心」の両方に支えられた自己愛ナルシシズムを手に入れる。清純で性愛の自己象徴となるパンティを見せないようにするその脚さばきは、パンチラに対する男性の性欲と女性的おしとやかさの両方を成立させることになった。それは高度経済成長期における、西洋化と文化的洗練化への過剰な適応欲の現われだと見ることができよう。20世紀中葉までの女性はズロースを見せることにあまり羞恥心をもたなかった。現代の女性も羞恥心を失いつつあるのでは、と著者は嘆く。

 

 

 

ハーバード・ビックス『昭和天皇(上)』

吉田裕監修/岡部牧夫・川島高峰訳/講談社/2002

 

発売と同時に欧米で話題となった本書は、2001年のピュリッツァー賞受賞作。昭和天皇没後に公開された資料を網羅して書かれた大作であり、天皇だけでなく、昭和史のイメージを塗り替えるだけの力をもつ。大元帥になるための軍事教育を通して人格を形成していった天皇は、日中戦争を通じて「意思ある」君主に変貌した。若き皇太子に影響を与えた日本イデオロギーとは何か、大正デモクラシーの危機から生じた新しい国家主義とはいかなるものか。そして戦争に積極的な指導力を発揮したその生き様はいかなるものであったか。天皇を一人の人間として描き出すその姿勢は、天皇制のあり方に鋭い問いを投げかける。

 

 

 

矢沢久雄『プログラムはなぜ動くのか 知っておきたいプログラミングの基礎知識』

日経ソフトウェア監修/日経BP社/2001

 

「これが驚異のベストセラー!」と帯に謳う本書は、いかにも専門学校や大学の般教科目で使われていそうなコンピュータ・プログラムの概論である。CPU、二進数による演算の仕方、コンピュータが小数計算を間違える理由、メモリーとディスクの関係、データ圧縮の仕方、OS、実行ファイル、アセンブリ言語などについて、分かりやすい解説が続く。最後に、コンピュータに考えさせるためのプログラムとして、ジャンケンの手を、人間の癖やパタンや記憶や思い付きによって実行する仕方が説明される。コンピュータは今後いかに進化してもその基本は変わらないのだから、その基礎を身につけようということだ。

 

 

 

東浩紀『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会』

講談社現代新書/2001

 

ポストモダンの本質をオタク系の消費文化を模範例として読み解いた快著。宇宙戦艦ヤマトや機動戦士ガンダムといった高度経済成長期の国家的欲望を反映したアニメは、擬似日本の構築によって大いなる国家的主体の自尊心を支えてきた。しかしバブル崩壊以降、例えばエヴァンゲリオンに代表される作品は、原作とそのパロディをともに等価とみなすシミュラークルの世界を作り出し、もはや物語ではなくネット上のデータベースを「萌え」要素として消費するという新たな消費文化を生み出している。その行動様式はインターネットを用いる現代社会の快楽構造を、批判的な鏡として映し出す構造となっている。

 

 

 

高島俊男『漢字と日本人』

文春新書/2001

 

漢語やタイ語やビルマ語などは「支那西蔵語」に属するのに対して、日本語は親戚をもたない孤立言語であるというが本当か? いずれにせよ日本語は、漢字や英語を人工的に導入する過程で発展した。しかし音よりも文字を優先したり、音読みと訓読みの複雑な区別を編み出したり、おまけに漢字が書けないことに対するコンプレックスをも生み出すことになった。日本語は自生的にではなく、畸形のまま成熟した。敗戦後の国語改革では漢字使用の制約によって過去との断絶が試みられたが、かといって漢字を使わなければ日本語は幼児化してしまう。漢字と日本人は腐れ縁。畸形のまま生きるほかないということだ。

 

 

 

和田秀樹『30代から始める「頭」のいい勉強術』

三笠書房/発行年不明

 

知能に関係する大脳皮質は30代後半から萎縮しはじめる。頭の老化を防止するために30代から必要となるのは、企画力によって学習を実生活の利得に結びつける方法であり、また、知的快楽を純真に楽しむために、「自分は学校の成績が悪かったから勉強に向いていない」などといった悲観を捨てることである。IQのような短期的問題処理能力にすぐれている必要はない。30代からは年間400時間の勉強によって、ある分野のスペシャリストになることを目指そう。アウトプット志向型、自己顕示欲の肯定、学んだら喋ることの必要性、感情の老化を防いでハングリー精神をもつことの重要さなどを訴える。老化に一喝の書だ。

 

 

 

養老猛司『人間科学』

筑摩書房/2002

 

雑誌「ちくま」連載のエッセイ集。あとがきに、「書き終わってつくづく思うのは、考える時間が足りないということである」とある。どうも本書は、まとまった部分は新鮮味に欠けており、断片的に書かれた部分は著者もまだ考えがまとまってないようで、著者も「後になるとまた書き換えたくなる」という。しかしそれでは本としてまとまらないのでとりあえず、というわけだ。アイディアとしては面白い。自己意識にすぎない唯能的人間が、神の全知全能を志向する際に遭遇する危険と困難をモチーフに、遺伝子や都市や言語や男女の問題などを散策する。その博識と美文によって、読者を人間学へと誘うだろう。

 

 

 

岡部恒治『考える力をつける数学の本』

日本経済新聞社/2001

 

産業構造の転換を促進するためにインドから一万人のIT技術者を招いてはどうか。就職氷河期と言われる現代、そんな計画が囁かれたことがある。もはや日本の数学教育はIT需要に応えるだけの力をもたないのか。計算の反復や暗記よりも独創的な発想を重んじる最近の教育傾向は、IT産業に必要な基礎的学力を蝕んでいる。思考力は基礎的な計算練習を積み重ねることで養われるのであり、思考力が伸びてしまえば、数学はイメージの問題だ。フェルマーの定理にせよ、問題を解決した人よりも提起した人の方が、高度の抽象的直観力を発揮する。そうした抽象世界の美しさを分かりやすく伝える本書は、大反響の快著。